南町奉行所跡-名奉行「大岡忠相」が務めていたところ

江戸時代、JR有楽町駅の東側には「南町奉行所」が置かれていました。そこは、八代将軍徳川吉宗によって起用された名奉行「大岡忠相」が約20年間、南町奉行を務めていたところ。今回は、銀座、日比谷にも近く、多くの人が行き交う有楽町に置かれていた「南町奉行所跡」の散策です。

◆ ◆ ◆

南町奉行所跡の散策

所要時間:約20分

南町奉行所跡の碑(駅前広場)
発掘された穴蔵と木樋(地下広場)
千代田区町名由来板
数寄屋橋の碑(数寄屋橋公園)

★JR有楽町駅中央口をスタート

昼も夜も多くの人が行き交う、JR有楽町駅中央口です。南町奉行所跡の碑は、ここから直ぐのところに立っています。


JR有楽町駅中央口

 徒歩1分

南町奉行所跡の碑(駅前広場)

地下広場入口(円形屋根)のマルイ側

JR有楽町駅中央口前にある地下広場入口(円形屋根)のマルイ側に、「南町奉行所跡」と書かれた碑が立っています。その直ぐ横には「石組下水溝」が再現されていました。駅側からは見えないので通り過ぎてしまうかもしれません。


南町奉行所跡の碑と再現された石組下水溝

東京都指定旧跡 南町奉行所跡

(前略)南町奉行所は、宝永4年(1707)に常盤橋門内から数寄屋橋門内に移転し、幕末までこの地にありました。その範囲は、有楽町駅および東側街区一帯にあたり、平成17年の発掘調査では、奉行所表門に面した下水溝や役所内に設けられた井戸、土偶などが発見されました。(後略)
引用:南町奉行所跡案内板(千代田区)

穴蔵と木樋(地下広場)

地下広場入口からエスカレーターで地下1階へ

地下広場へ降りると、そこには南町奉行所内に掘られた穴蔵(地下室)が壁に立てて展示されています。この穴蔵からは、伊勢神宮の神官が大岡忠相に宛てた木札が出土しました。両脇にある木製ベンチは、木樋(江戸時代の水道管)を再利用したものです。


穴蔵と木樋

千代田区町名由来板

有楽町マリオン前(晴海通り)

「有楽町」と「数寄屋橋」の名前の由来や、江戸時代の有楽町界隈の絵図を紹介している千代田区町名由来板。絵図には、安政3年(1856)の数寄屋橋門や南町奉行所の場所が記され、それらが現在では、どの辺りになるのか、大よその場所を教えてくれます。


千代田区町名由来板 ▼東京都千代田区有楽町2-5


安政3年の有楽町界隈の絵図(出典:千代田区町名由来板)

絵図中央の「現在地」と記されている場所は、千代田区町名由来板のある場所です。その場所から数寄屋橋交差点方面へ少し行ったところに、かつては数寄屋橋門があり、門の内側に南町奉行所があったようです。また、既に埋め立てられ消失している外濠ですが、外濠の上に東京高速道路が建設されたので、外濠のあった位置がよくわかります。

数寄屋橋の碑(数寄屋橋公園)

数寄屋橋公園(晴海通り)

数寄屋橋門は、明治維新後に撤去。数寄屋橋門に繋がる数寄屋橋は、昭和33年(1958)に外濠が埋め立てられ、東京高速道路が建設された際に姿を消しました。数寄屋橋公園内には、数寄屋橋があったことを示す碑が立っています。


数寄屋橋の碑 ▼東京都中央区銀座5丁目1-1

南町奉行所とは

老中の支配下にあり、江戸町人地の行政・司法・警察などの職務を担っていた組織です。北と南で、月番による交代制で江戸市政を担っていました。

町奉行所の歴史については、下記「北町奉行所跡」で紹介しています。

関連記事

JR「東京」駅から直ぐのところに北町奉行所跡の案内板が置かれています。北町奉行といえば、名奉行でお馴染みの遠山金四郎を思い浮かべる人も多いはず。彼は天保の改革を主導した老中・水野忠邦と対立し、庶民の暮らしを守った名奉行として知られています。[…]

名奉行・大岡越前守忠相

南町奉行を務めた有名な人物といえば、大岡越前守忠相を思い浮かべる人が多いでしょう。八代将軍徳川吉宗によって江戸町奉行に取り立てられ、吉宗の側近として「享保の改革」を支え、江戸市中の行政に携わっていました。

江戸町奉行は、寺社奉行、勘定奉行とともに、徳川幕府の三奉行のひとつでした。その職掌は、江戸府内の行政・司法・警察など多方面に及び、定員二名で南北両奉行に分かれ月番で交代に執務していました。名奉行大岡越前守忠相は、享保2年(1717)から元文元年(1736)にかけて南町奉行としてここで執務をしていました。(後略)
引用:南町奉行所跡案内板(千代田区)

功績

大岡忠相の功績の一つに、江戸の町を火事から守るため、享保3年(1718)に組織した町火消があります。その後、江戸町火消「いろは48組」などが組織され、現在の消防組織のはじまりとなりました。

消防博物館(東京消防庁消防防災資料センター)

消防博物館(新宿区四谷)には、大岡忠相が町火消を組織化したことや、町火消で使われた纏(まとい)などが紹介されています。江戸時代の火消から現代の消防までの歴史などを紹介している、おすすめの博物館です。


消防博物館 ▼東京都新宿区四谷3-10 ▼TEL:03-3353-9119
▼東京メトロ丸ノ内線「四谷三丁目」駅徒歩1分

町奉行から大名へ

南町奉行を約20年間務めた大岡忠相は、元文元年(1736)に寺社奉行となり、徳川吉宗から三河西大平(現・愛知県岡崎市)1万石を拝領し、大名となっています。

大岡忠相の上屋敷跡

有楽町駅から約1.2kmと少し離れた中央官庁街の「霞が関」に、大岡忠相の上屋敷跡があります。現在、跡地は「弁護士会館」になっていますが、植え込みの中に「大岡忠相屋敷跡」と書かれた案内板が置かれていました。


大岡越前守忠相屋敷跡案内板(東京都千代田区霞が関1-1)

名奉行として知られる大岡忠相(1677-1751)は、徳川吉宗が江戸幕府八代将軍に就任した翌年(享保2年・1717)に江戸町奉行に起用され、以後約20年間その要職にあった。(中略)
この地は、晩年に忠相の上屋敷が置かれた場所である。

引用:大岡忠相屋敷跡(日本弁護士連合会)

ココを歩いてみて

多くの人が行き交う有楽町駅前

南町奉行所跡の碑は駅側からは見えないので、言われなければ気付かないかもしれません。また、発掘された穴蔵と木樋(江戸時代の水道管)は、地下広場入口からエスカレーターで降りたところの地下広場にあります。江戸時代の水道管のベンチは、うまく活用されていました。

散策のあとは銀座、日比谷へ

複合商業施設が立ち並ぶ有楽町ですが、千代田区町名由来板にある「安政3年の有楽町界隈の絵図」を見れば、かつて南町奉行所が置かれていた場所を確認することができます。また、南町奉行所跡から銀座、日比谷へは徒歩圏内です。散策のあとは、銀座、日比谷へ足を運んでみては如何でしょうか?

アクセス情報

南町奉行所跡(碑)

  • 所在地
    東京都千代田区有楽町2丁目
  • 交通
    JR「有楽町」駅中央口から徒歩1分

広告