JR「有楽町」駅前広場に「南町奉行所跡の碑」が置かれています。そこは「大岡越前守忠相」が南町奉行を約20年間務めていたところ。彼は、八代将軍徳川吉宗の側近として「享保の改革」を支え、江戸市中の行政に携わりました。
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ココに南町奉行所がありました!
JR「有楽町」駅前広場にある「南町奉行所跡の碑」です。
南町奉行所跡の碑 ▼東京都千代田区有楽町2丁目
アクセス
- JR「有楽町」駅中央口から徒歩1分
南町奉行所とは
数寄屋橋門内の南町奉行所
宝永4年(1707)~幕末までは数寄屋橋門内
老中の支配下にあり、江戸町人地の行政・司法・警察などの職務を担っていた組織です。
東京都指定旧跡 南町奉行所跡
(前略)南町奉行所は、宝永4年(1707)に常盤橋門内から数寄屋橋門内に移転し、幕末までこの地にありました。その範囲は、有楽町駅および東側街区一帯にあたり、平成17年の発掘調査では、奉行所表門に面した下水溝や役所内に設けられた井戸、土偶などが発見されました。(後略)
引用:南町奉行所跡案内板(千代田区)
※町奉行所の歴史については、下記、関連記事の中で紹介しています。
JR「東京」駅から直ぐのところに、北町奉行所跡の案内板が置かれています。北町奉行といえば、名奉行でお馴染みの「遠山金四郎」を思い浮かべる人が多いはず。彼は天保の改革を主導した老中・水野忠邦と対立し、庶民の暮らしを守った名奉行として知られてい[…]
散策ルート
JR「有楽町」駅中央口をスタート
紫枠範囲:南町奉行所跡(イメージ)/赤矢印線:散策ルート
①南町奉行所跡の碑(駅前広場)
②発掘された穴蔵と木樋(地下広場)
③千代田区町名由来板(晴海通り)
④数寄屋橋の碑(数寄屋橋公園)
所要時間
約30分
[散策]南町奉行所跡
最寄り駅をスタート
JR「有楽町」駅
JR「有楽町」駅中央口
徒歩1分
①南町奉行所跡の碑
駅前広場
JR「有楽町」駅中央口正面にある、有楽町地下広場入口(円形屋根)のマルイ側に、「南町奉行所跡」と書かれた碑が立っています。その直ぐ横にあるのは、再現された「石組下水溝」です。駅側からは見えないので通り過ぎてしまうかもしれません。
南町奉行所跡の碑
エスカレーターで地下広場へ
②穴蔵と木樋
有楽町地下広場
地下広場へ降りると、そこには南町奉行所内に掘られた「穴蔵(地下室)」が壁に立てて展示されています。この穴蔵からは、伊勢神宮の神官が大岡忠相に宛てた木札が出土しました。両脇にある木製ベンチは、「木樋(江戸時代の水道管)」を再利用したものです。
穴蔵と木樋(有楽町地下広場)
徒歩5分
③千代田区町名由来板
有楽町マリオン前(晴海通り)
「有楽町」と「数寄屋橋」の名前の由来や、安政3年(1856)当時の有楽町界隈の絵図を紹介しています。
千代田区町名由来板▼東京都千代田区有楽町2-5
数寄屋橋門や南町奉行所があったところ
絵図中央の「現在地」と記されている場所は、千代田区町名由来板のある場所です。そこから東へ少し行ったところに数寄屋橋門がありました。
また、既に埋め立てられ消失している外濠ですが、外濠の上に東京高速道路が建設されたので、現在でも東京高速道路を見れば、外濠のあった位置がわかります。
安政3年の有楽町界隈
安政3年の有楽町界隈の絵図(出典:千代田区町名由来板)
今の地図(出典:千代田区町名由来板)
徒歩3分
④数寄屋橋の碑
数寄屋橋公園
数寄屋橋門は明治維新後に撤去。外濠に架けられていた数寄屋橋は、昭和33年(1958)に外濠が埋め立てられ、東京高速道路が建設された際に姿を消しました。数寄屋橋公園内には、数寄屋橋があったことを示す碑が立っています。
数寄屋橋の碑▼東京都中央区銀座5丁目1-1
-----散策終了-----
名奉行「大岡越前守忠相」
南町奉行
約20年間、南町奉行として執務
南町奉行を務めた有名な人物といえば「大岡忠相」を思い浮かべる人が多いでしょう。八代将軍徳川吉宗によって江戸町奉行(南町奉行)に取り立てられ「越前守」と名乗ります。
江戸町奉行は、寺社奉行、勘定奉行とともに、徳川幕府の三奉行のひとつでした。その職掌は、江戸府内の行政・司法・警察など多方面に及び、定員二名で南北両奉行に分かれ月番で交代に執務していました。名奉行大岡越前守忠相は、享保2年(1717)から元文元年(1736)にかけて南町奉行としてここで執務をしていました。(後略)
引用:南町奉行所跡案内板(千代田区)
多くの実績を残した大岡忠相の主な業績には
小石川養生所の開設
病気になった困窮者や身寄りのない人達の治療に尽力
目安箱の設置
庶民の要求や不満などの投書を受取る目安箱を設置し、政策に反映
町火消を結成
町人のための本格的な消防組織を結成(現在の消防組織の始まり)
消防博物館(東京消防庁消防防災資料センター)
消防博物館(東京都新宿区)には、大岡忠相が町火消を組織化したことや、町火消で使われた纏(まとい)などが紹介されています。江戸時代の火消から現代の消防までの歴史などを紹介している、オススメの博物館です。
消防博物館▼東京都新宿区四谷3-10▼TEL:03-3353-9119
▼丸ノ内線「四谷三丁目」駅から徒歩1分
町奉行から大名へ
1万石の大名
南町奉行を約20年間務めた大岡忠相は、元文元年(1736)に寺社奉行となり、寛延元年(1748)には三河国西大平(現・愛知県岡崎市)1万石を拝領し、大名となっています。
晩年の「大岡忠相」上屋敷跡
中央官庁街の「霞が関」に、大岡忠相の上屋敷跡があります。現在、跡地は「弁護士会館」となっていますが、植え込みの中に「大岡忠相屋敷跡」と書かれた案内板が置かれていました。
大岡忠相屋敷跡案内板 ▼東京都千代田区霞が関1-1
名奉行として知られる大岡忠相(1677-1751)は、徳川吉宗が江戸幕府八代将軍に就任した翌年(享保2年・1717)に江戸町奉行に起用され、以後約20年間その要職にあった。(中略)
この地は、晩年に忠相の上屋敷が置かれた場所である。
引用:大岡忠相屋敷跡(日本弁護士連合会)
ココを歩いてみて
駅前広場と地下広場
駅前広場の「南町奉行所跡の碑」は駅側からは見えないので、いわれなければ気付かないかもしれません。また、発掘された穴蔵(地下室)と木樋(江戸時代の水道管)は、JR「有楽町」駅中央口正面にあるエスカレーターで降りた地下広場にあります。
MAP 南町奉行所跡
Googleマップ