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京橋跡-歴史ある名橋と竹河岸

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京橋川に架けられていた「京橋」は、日本橋と並ぶ歴史ある名橋だった。橋の付近に設けられた「竹河岸」や「大根河岸」は、多くの人でにぎわったところ。歌川広重の「名所江戸百景」の中では、当時の京橋と竹河岸の様子が描かれている。

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「京橋」の歴史と現在

歴史

京橋のはじまり

京橋は、慶長8年(1603)の創建とされる日本橋とほぼ同時期に初めて架けられたと伝えられる歴史のある橋です。(後略)
引用:京橋の親柱案内板(中央区教育委員会)

橋名の由来は、日本橋から東海道を通って京都へ向かうときに、最初に渡る橋なので京橋という。(諸説あり)

天下普請で開削された京橋川

京橋川は、徳川家康の入府後、慶長年間(1596~1615)に行われた最初の天下普請で、外堀とともに開削された水路になる。
比丘尻橋と中之橋間の左岸には「薪河岸」、中之橋と京橋間の左岸には「大根河岸」、京橋と白魚橋間の左岸には「竹河岸」、右岸には「白魚河岸」が存在した。


江戸古地図(出典:京橋川案内板)

京橋川の水路を利用した「竹河岸」

京橋の北詰から東側にかけての河岸には、多くの竹商人が住み、商いをする「竹河岸」が設けられていた。歌川広重の錦絵では、京橋を渡る人々と沢山の長い青竹が林立する竹河岸が見える。


名所江戸百景「竹がし」(出典:国立国会図書館所蔵)

竹の多くは、千葉県から高瀬舟に載せて京橋川に入って来たものや、群馬県から筏に組んで送ったものであったという。青竹が連ねられている竹河岸の様子は、歌川広重の「名所江戸百景」にも描かれており、その光景は目にさわやかな風物詩であった。
引用:竹河岸案内板

京橋川の埋め立てと京橋の撤去

昭和38年から40年にかけての京橋川の埋め立て工事に伴い、京橋は撤去された。

 

現在

京橋跡には橋の「親柱」のみが残され、その上を高速道路が覆っている。


京橋跡

 

残された京橋の親柱

「石造の親柱」2基と、「石およびコンクリート造の親柱」1基が残されている。


京橋の親柱のひとつ

 

竹河岸跡

歌川広重の名所江戸百景「竹がし」の方向に見えるのはビルと高速道路。

 

ひとこと!

京橋跡のある京橋地区は商業施設や高層ビルが立ち並び、東京駅にも近いオフィス街。京橋跡付近には「京橋の親柱」の他に、「京橋大根河岸青物市場跡」や「江戸歌舞伎発祥の地」などの記念碑があり、それぞれの歴史を今に伝えている

基本情報

名称 京橋跡(親柱)
所在地 中央区銀座1丁目2番先・11番先/京橋3丁目5番先
アクセス 東京メトロ銀座線「京橋」駅1番出口から徒歩約2分
東京メトロ有楽町線「銀座一丁目」駅7番出口から徒歩約3分
京橋記念碑

 

 

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