道三堀は、徳川家康の江戸入府後、江戸城への船路を確保するために造られた運河。これにより、船で大量の物資を江戸城へ運び入れることが可能になりました。その道三堀は、明治末期に埋め立てられ、現在、丸の内・大手町という大都会のオフィス街に眠っています。
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ココに道三堀がありました!
かつて道三堀に架けられていた2つの橋の案内板が、道三堀の歴史を今に伝えています。
「道三橋跡」と「銭瓶橋跡」の案内板
道三堀とは
徳川家康の命により造られた運河
家康の江戸入り直後に、物資(生活物資・建築物資・軍需物資など)を江戸城へ運ぶ舟入堀として開削された人工の水路。江戸城内堀(和田倉濠)と外濠を結んでいました。
道三堀(青い枠)①辰ノ口/②道三橋/③銭瓶橋
「御江戸大名小路絵図(出典:国立国会図書館)」より改変
道三堀の歴史
道三堀のはじまり
1590年(天正18)に徳川家康が江戸に入国し、江戸城建設の物資補給路のために竜の口(和田倉門のそば)から銭瓶橋まで掘割を開削させ、道三堀と呼びました。
引用:道三橋跡案内板(千代田区)
(※竜の口=辰ノ口)
和田倉で保管
道三堀で運ばれてきた船荷は「辰ノ口」で荷揚げされ、江戸城和田倉門内の「和田倉」で保管。
繋がる水路(運河)
道三堀の開削後、軍用品としても重要な「塩」を行徳(現・千葉県)から安定して運ぶため、「小名木川」と「新川」を開削して道三堀に繋げています。
道三堀の埋め立て
明治42年(1909)に埋め立てられ姿を消しました。
散策のポイント
①辰ノ口跡/②道三橋跡/③銭瓶橋跡
道三堀を現在の地図に復元
道三堀は、現在の和田倉濠東側の「辰ノ口跡」から北東へ進み、永代通りを横断。そして、永代通りの直ぐ北側を通って外濠(埋め立て済)に繋がっていました。
◆埋め立てられた「道三堀」:青い実線
◆埋め立てられた「外濠」 :青い点線
散策ルート
①辰ノ口跡 → ②道三橋跡 → ③銭瓶橋跡
上記地図の赤矢印線を歩きます。
- 江戸城への荷揚げ場であった辰ノ口跡
- 道三堀のほぼ中間点に架けられていた道三橋跡(案内板あり)
- 外濠と合流する地点に架けられていた銭瓶橋跡(案内板あり)
所要時間
約30分(約1.1km)
[散策]道三堀跡を歩く
最寄り駅をスタート
都営三田線「大手町」駅
都営三田線「大手町」駅D6出口(エレベーター)
目の前
①辰ノ口跡
江戸城への荷揚げ場
都営三田線「大手町」駅D6出口を出ると、直ぐ目の前が「和田倉濠」と「辰ノ口跡」です。道三堀で運ばれてきた船荷は、ここで荷揚げされ、江戸城和田倉門内の「和田倉」で保管されていました。
辰ノ口跡と和田倉濠
丸の内仲通り
街路樹がとても綺麗な通りには、テラス席で楽しむ様子が見られます。
丸の内仲通り
「大手町駅前」交差点
大規模なオフィスビルが立ち並ぶ永代通りは、交通量のとても多い幹線道路です。
大手町駅前交差点
②道三橋跡
道三堀のほぼ中間点に架けられていた橋
「大手町野村ビル」と「新大手町ビルヂング」との間の通路に「道三橋跡」の案内板が設置されています。
道三橋跡案内板
当初は、大橋とも呼ばれていましたが、南東の端に幕府典薬寮の医官今大路道三の屋敷があったことから道三橋と呼ばれるようになりました。また、橋の西側に熊本藩(現在の熊本県)細川家の屋敷があり、当主の代々の幼名が彦次郎であったことから彦次郎橋とも呼ばれていました。
引用:道三橋跡案内板(千代田区)
JR「東京」駅日本橋口
永代通りの右側には、JR「東京」駅が見えます。
JR「東京」駅日本橋口
③銭瓶橋跡
超高層ビル建設中のため立入禁止
道三堀が外濠と合流する地点には「銭瓶橋」が架けられていました。そこは、現在、大規模再開発が段階的に行われているエリア(トウキョウトーチ)で、立入禁止となっています。
建設中のため立入禁止
現在、「トウキョウトーチ」の西半分(オレンジ部分)は、超高層ビル建設中のため、立入りと写真撮影が禁止です。
オレンジ部分は立入禁止エリア
銭瓶橋跡の案内板
銭瓶橋跡の案内板は、立入禁止エリア北側の道路沿いに設置されています。
銭瓶橋跡案内板
銭瓶橋の由来は諸説あり、橋を架設する際に地中から銭の入った瓶が掘り出されたからとする説と、この付近で永楽銭の引換えが行われており、「銭替橋」と呼ばれたからとする説があります。
引用:銭瓶橋跡案内板(千代田区)
-----散策終了-----
日本一の超高層ビルを建設中
大規模再開発エリアは「トウキョウトーチ」と命名され、2つの高層ビルを含む再開発が段階的に進行中です。
地上38階の「常盤橋タワー」が2021年7月に開業し、地上62階の日本一の超高層ビル「トーチタワー」が2028年3月末竣工予定。トウキョウトーチは東京駅日本橋口前の新たなシンボルです。
2021年7月にグランドオープンした常盤橋タワー(地上38階)
浮世絵で見る道三堀に架かる橋
名所江戸百景「八ツ見のはし」
江戸の名所の一つといわれた「一石橋」からの景観を描いた、歌川広重の名所江戸百景「八ツ見のはし」には、道三堀に架かる橋が描かれています。浮世絵中央が「銭瓶橋」で、その奥が「道三橋」です。
名所江戸百景「八ツ見のはし」
歌川広重(出典:国立国会図書館)
★八ツ見のはし(一石橋)はこのサイト内で紹介しています
(一石橋-八つの橋が見渡せた江戸の名所)
ココを歩いてみて
道三堀の面影は見当たらない
辰ノ口跡から銭瓶橋跡までの約1.1kmを歩きましたが、道三堀の面影は見当たりませんでした。かつて、道三堀に架けられていた2つの橋の案内板が、大都会のオフィス街に眠る道三堀の歴史を今に伝えています。