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北町奉行所跡-最終的に呉服橋門内に置かれた奉行所

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JR東京駅から徒歩で直ぐのところに、名奉行「遠山金四郎(遠山左衛門尉景元)」でお馴染みの北町奉行所跡がある。そこは大きなビルが立ち並び、北町奉行所の面影は殆どない。

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「北町奉行所」の概要と現在

概要

北町奉行所は、慶長6年(1601)に江戸城外郭の見附門のひとつ「呉服橋門内」に設置され、その後、移転を繰り返したが、文化3年(1806)に呉服橋門内に戻り、幕末にいたる。月番制により南町奉行所と交代で江戸の行政・司法・警察の職務を担っていた。

「北町」と「南町」の呼び名は、単に奉行所の所在地を表し、北にある方を「北町奉行所」、南にある方を「南町奉行所」と呼び、管轄地域は同一だった。

名奉行として有名な遠山金四郎(遠山左衛門尉景元)は、天保11年から14年(1840-1843)まで北町奉行所で執務をしていた。

 

現在

北町奉行所跡

北町奉行所跡の案内板が置かれているのは、JR東京駅八重洲口北側にある高層ビル「丸の内トラストタワーN館」東側の通路になる。そこは大きなビルの建物に囲まれた狭い通路で、人通りは少ない。


北町奉行所跡の案内板

実際に呉服橋門内に置かれた北町奉行所があった場所は、その隣の「丸の内トラストタワー本館」から東京駅構内にかけてのエリアになる。
平成12年の発掘調査では、北町奉行所の上水道や井戸、屋敷境などの遺構が発見されている。


北町奉行所跡の案内板

東京都指定旧跡 北町奉行所跡

この地域は、江戸時代には呉服橋門内と呼ばれ、文化3年(1806)から幕末まで北町奉行所が置かれていました。町奉行は、寺社奉行、勘定奉行とともに徳川幕府の三奉行のひとつで、今の有楽町駅前にあった南町奉行所と、ここ北町奉行所の二か所に分かれて交代で町人地の行政・司法・警察の職務を担っていました。(後略)
引用:北町奉行所跡案内板

 

再現された江戸城外掘の石垣

北町奉行所跡の案内板の南側には、江戸城外堀をイメージした石垣が積まれている。そこの石垣の一部は、鍛冶橋門(東京駅八重洲南口)周辺で発見された堀石垣が使用されている。


江戸城外堀をイメージした石垣

北町奉行所の東方には、寛永13年(1636)に築かれた江戸城外堀がありました。現在この地域の外堀は、常盤橋門跡や日本橋川の護岸の一部などに石垣が残りますが、東京駅周辺は昭和30年代には埋め立てられ、今は外堀通りや交差点の名前などに名残を留めている程度です。
引用:江戸城外堀の石垣案内板

 

ひとこと!

JR東京駅から徒歩直ぐの場所にある北町奉行所跡。桜吹雪でお馴染みの「遠山の金さん」が執務した北町奉行所だが、現在は大きなビルが立ち並び、その面影は殆ど無い。

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基本情報

名称 北町奉行所跡
所在地 東京都千代田区丸の内1-8
アクセス JR「東京」駅日本橋口から徒歩約2分
北町奉行所

 

 

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