JR「東京」駅八重洲中央口から伸びる「八重洲通り」には、日蘭修好380周年を記念し、両国の架け橋となった「ヤン・ヨーステン」の記念碑が置かれています。ヤン・ヨーステンはオランダ人で、慶長5年(1600)に日本に漂着し、徳川家康に仕えた人物です。「八重洲」という地名は、彼の日本名「耶楊子(やようす)」に由来するといわれています。
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八重洲通りの記念碑
ヤン・ヨーステン記念碑
日本とオランダのはじまりを伝える記念碑
八重洲通りの中央分離帯に置かれている「ヤン・ヨーステン記念碑」と「プレート」。記念碑の左側がヤン・ヨーステン、右側が漂着したオランダ船リーフデ号です。
ヤン・ヨーステン記念碑
日本とオランダの関係は、ウイリアム・アダムスやヤン・ヨーステンらの来航によって始まった。1609年(慶長14年)平戸にオランダ商館が設立され(後に長崎に移る)、鎖国時代の日本のヨーロッパに対する唯一の窓口となり続けた。オランダがもたらした学術・文物が日本に与えた影響は大きく、明治以降の日本近代化の大きな礎になった。
引用:ヤン・ヨーステン記念碑
平和の鐘
高さ7mのモニュメント
ヤン・ヨーステン記念碑の直ぐ傍にある「平和の鐘」のモニュメント。これは、中央区が1988年(昭和63)に「平和都市宣言」を行い、それを記念して設置したものです。オランダ製で26個のベルが四季折々のメロディを奏でています。
平和の鐘
アクセス情報
八重洲中央口から徒歩4分
JR「東京」駅八重洲中央口からは、八重洲通りと中央通りが交差する「日本橋三丁目」交差点の横断歩道から、中央分離帯へ行くことができます。八重洲地下街からは、23番と24番出口が最寄りです。
JR「東京」駅八重洲中央口
アクセス
- JR「東京」駅八重洲中央口から徒歩4分
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ヤン・ヨーステンと八重洲
ヤン・ヨーステンとは
家康に仕える
慶長5年(1600)、豊後(現在の大分県)に漂着したオランダ船「リーフデ号」に乗っていたオランダの船員。そのまま日本に留まり、徳川家康の信任を得て外交や貿易について進言する役目につきます。やがて東南アジア方面との朱印船貿易で活躍。慶長14年(1609)、長崎・平戸にオランダ商館が開設されると、日本とオランダとの貿易の発展に尽力。
「八重洲」という地名の由来
耶楊子→八代洲→八重洲
ヤン・ヨーステンは、和田倉門外の堀の岸辺に屋敷を与えられ、その辺りの地名は彼の日本名「耶楊子(やようす)」にちなんで「八代洲河岸(やよすがし)」と呼ばれました。
「八代洲」は、のちに「八重洲」と書かれ、初めて町名になったのは明治5年(1872)のこと(現・丸の内一丁目付近)。その後、東京駅が開業すると、八重洲町の大半は東京駅となるが、昭和29年(1954)には東京駅東側一帯が「中央区八重洲」となって今日に至っている。
引用:EDO-TOKYO・YAESU HISTORY
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八重洲地下街には
ヤン・ヨーステン記念像
こちらは記念像
東京駅八重洲地下街(通称:ヤエチカ)の「外堀地下1番通り」には、「ヤン・ヨーステン記念像」が置かれています。記念像の左側(EDO-TOKYO・YAESU HISTORY)では、ヤン・ヨーステンの解説や、リーフデ号の航海経路などを紹介。
八重洲地下街の「ヤン・ヨーステン記念像」
「ヤエチカ」のキャラクター
色んな姿のヤン・ヨーステンが活躍中
現在、ヤン・ヨーステンは東京駅八重洲地下街(通称:ヤエチカ)のキャラクターとなって活躍中です。ヤエチカを歩くと、ヤン・ヨーステンのイラストの入った案内をあちらこちらで見ることができます。
ヤエチカにて(2023年9月10日撮影)
ココを歩いてみて
東京駅前が大きく変貌中
超高層ビルの建設
東京駅前「八重洲エリア」では、大規模再開発が進行中です。既存のビルが解体され、超高層ビルの建設が行われています。
八重洲エリアの超高層ビル
①東京駅前八重洲一丁目東B地区
・完了予定:2025年7月31日
②東京ミッドタウン八重洲
・2023年3月10日全館開業済
③八重洲二丁目中地区
・完了予定:2029年1月31日
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ヤン・ヨーステンの「記念碑」と「記念像」
探してみてください♪
八重洲通りの中央分離帯にある「ヤン・ヨーステン記念碑」は少し分かりにくいところにありますが、直ぐ傍にある高さ7mの「平和の鐘」のモニュメントが目印です。また、八重洲地下街の「ヤン・ヨーステン記念像」も分かりにくいところにありますが、「外堀地下1番通り」の狭いスペースの中にありますので探してみてください。
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