海外の高級ブランドショップが立ち並ぶ銀座の街に、一つの小さな記念碑が立っています。そこは、かつて銀貨を製造する「銀座」があったところ。記念碑には「銀座発祥の地」と刻まれ、銀座のはじまりを今に伝えています。
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ココに歴史がありました!
ティファニー銀座本店前の歩道に「銀座発祥の地」と刻まれた記念碑が立っています。
「銀座発祥の地」の碑 ▼東京都中央区銀座2-7-17
★:「銀座発祥の地」の碑 ※投稿時9番出口閉鎖中
アクセス
- 有楽町線「銀座一丁目」駅8番出口から徒歩3分
- 各線「銀座」駅A13出口から徒歩3分
銀座とは
幕府発行の銀貨を製造していた組織
銀座とは、江戸幕府の銀貨鋳造所(銀座役所)のことで、銀貨の製造や発行を行っていました。銀座は、慶長6年(1601)に京都・伏見に置かれたのがはじまりです。その後、駿府、京都、大坂、長崎などにも置かれましたが、やがて江戸に統合されます。
銀貨を製造する銀座の様子 銀座巻物(出典:国立国会図書館)
江戸に置かれた銀座の歴史
江戸の銀座のはじまり
慶長17年、銀貨を製造する銀貨鋳造所(銀座役所)が、駿府(現・静岡県静岡市)から江戸(現・中央区銀座2丁目)に移され、江戸で銀貨の製造がはじまりました。
蛎殻町(かきがらちょう)へ移転
銀座での不正行為が発覚したことで、銀座は蛎殻町(現・日本橋人形町)へ移転。その後、蛎殻町で再興した銀座役所は「蛎殻銀座」と呼ばれ、そこで約70年間存続します。銀座が蛎殻町へ移転しても、銀座は通称名の「銀座」がそのまま残りました。
銀座の廃止
幕府の崩壊により明治政府に接収され、明治2年(1869)に明治政府の造幣局の設立に伴い、廃止となりました。
慶長17年(1612)、銀貨を製造する銀貨鋳造所(銀座役所)が江戸(現・中央区銀座2丁目)に置かれます。そこの正式町名は「新両替町」でしたが、銀貨鋳造所(銀座役所)が置かれたことで、通称で「銀座」と呼ばれ、地名として定着していきました。
江戸に置かれた銀座の今
銀座跡(現・中央区銀座)
日本有数の繁華街
海外の高級ブランドショップが立ち並ぶ日本有数の繁華街に発展。「銀座発祥の地」の碑が立っているところは銀座通り(中央通り)の歩道です。その通りは、かつて日本橋を起点とした東海道になります。
銀座通り(中央通り)
「銀座発祥の地」の碑 銀座通り(中央通り)
●記念碑には・・・
慶長十七年(起元二二七二年 西暦一六一二年)徳川幕府此の地に銀貨幣鋳造の銀座役所を設置す
当時町名を新両替町と称せしも通称を銀座町と呼称せられ明治二年遂に銀座を町名とする事に公示さる 昭和三十年四月一日
引用:「銀座発祥の地」の碑
慶長17年(1612)、徳川幕府は、現在の中央区銀座に銀貨幣鋳造の銀座役所を設置。当時、町名は新両替町とされたが、通称で銀座町と呼ばれ、明治2年には正式に銀座を町名とすることを公示。昭和30年4月1日
蛎殻銀座跡(現・中央区日本橋人形町)
甘酒横丁交差点に置かれた案内板
かつては人形操り芝居、浄瑠璃芝居、見世物小屋が軒を並べ、それに携わる多くの人形師が住んでいたところです。現在、蛎殻銀座のあったところには案内板が置かれています。
「蛎殻銀座跡」の案内板▼日比谷線「人形町」駅A2出口直ぐ
ココを歩いてみて
記念碑はとても地味な存在
銀座は、華やかで、昼も夜も沢山の人が行き交う日本を代表する繁華街です。その中で「銀座発祥の地」の碑は、いわれなければ気付かない程の地味な存在ですが、銀座発祥の歴史を今に伝えていました。