常盤橋公園-国指定史跡「常盤橋門跡」と新1万円札の「渋沢栄一」像

常盤橋公園内の散策には、2つのポイントがあります。その一つが、明治時代を象徴するモダンな石橋が見られるようになったこと。そして、もう一つが、新1万円札の肖像に描かれる「渋沢栄一」の銅像が建立されていることです。



国指定史跡「常盤橋門跡」

現在は常盤橋公園となっています

城門は撤去されていますが、残っている枡形の石垣は保存状態が良好です。また、城門に架かる「常磐橋」は、修復工事が完了し、明治時代を象徴するモダンな姿を取り戻しています。


常磐橋 ▼東京都千代田区大手町2丁目~中央区日本橋本石町2・3丁目

アクセス

  • 半蔵門線「三越前」駅B1出入口から徒歩1分
  • JR「東京」駅日本橋口から徒歩5分



★★★

常盤橋門の歴史

常盤橋門

奥州道に繋がる江戸五口の一つ

寛永6年(1629)に置かれた「江戸城外郭の正門」です。常盤橋門の内側には大名屋敷が広がっていました。


明治4年の常盤橋門(出典:常盤橋門跡案内板)

常盤橋門は、江戸五口のひとつ奥州道の出口で、浅草口あるいは、追手口、あるいは大橋ともいわれ、江戸時代を通して江戸城の正門である大手門へ向かう外郭正門でありました。中世には江戸と浅草を結ぶ街道(奥州道)の要衝であったと考えられています。(後略)
引用:常盤橋門跡案内板

国指定史跡

城門は明治6年(1873)に撤去されましたが、残った枡形の石垣は保存状態が良好であり、常磐橋と共に保存されていたことから、昭和3年(1928)に「国指定史跡常盤橋門跡」に指定。現在は昭和8年(1933)に開園した常盤橋公園となっています。

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城門に架かる「常磐橋」

明治時代を象徴するモダンな石橋

天正18年(1590)に架けられたといわれる常磐橋。明治10年(1877)に小石川門の石垣を一部に使い、木橋から石橋に改架。大理石による八角形の親柱や、唐草の意匠が施された手すり柵が特徴。同時期に築造された他の石橋には見られない近代的石造橋の先駆けとなりました。


常磐橋 歌川広重「古今東京名所」(出典:工事のお知らせ)

関東大震災での被害

大正12年(1923)に発生した関東大震災で大きな被害を受けます。その後、長期間にわたり放置されていましたが、昭和8年(1933)に常盤橋公園が開園し、昭和9年(1934)に常磐橋の修復工事が行われています。
また、公園の一角には、渋沢栄一の銅像が建立されました。

「渋沢栄一」の銅像が建立された理由

当像は、関東大震災(大正12年<1923>)後の復旧と整備(当該地一帯を含む)に尽力した渋沢の功績を称えたもので、昭和8年(1933)開園の常盤橋公園とともに建立されました。
引用:中央区広報紙コラム「区内の文化財」令和4年12月21日号

 

東日本大震災での被害

平成23年(2011)の東日本大震災により、再び大きな被害を受けます。アーチ輪石の変形や路面の陥没などにより崩落の危険が生じていました。


常磐橋アーチ輪石の変形(出典:工事のお知らせ)

常磐橋の修復工事開始

崩落の危険が生じていた常磐橋は、平成23年(2011)に修復工事を開始。常盤橋公園は修復工事の資材仮置場などに利用され、工事用フェンスに囲まれました。


修復工事中の常磐橋


現場には工事の進捗状況などが掲載(工事のお知らせ)

常磐橋の修復工事完了

2021年5月10日午後1時より、常磐橋門跡が通行可能になりました。

明治時代を象徴するモダンな姿を取り戻した常磐橋。八角形の大理石の親柱と、唐草意匠の手すり柵。そして路面には当時いち早く取り入れられた「歩車分離」(人は端、馬車と人力車は中央)が再現されています。これらは浮世絵、古写真、資料などを頼りに修復されたとのことです。

広報紙には

広報千代田(東京都千代田区の広報紙)には、常磐橋の修復工事が完了し、5月上旬から通行できることと、橋の修復工事や歴史を4ページの特集で取り上げています。

再開発なども進む日本有数のビジネス街を通る日本橋川に架かる国指定史跡常盤橋門跡内「常磐橋(ときわばし)」が、修復工事を終え、5月上旬から通行できるようになります。
引用:広報千代田 令和3年4月20日号



常盤橋公園内の「渋沢栄一」像

関東大震災後の復興に尽力

公園の一角には、実業家「渋沢栄一」の銅像が見られます。渋沢栄一は、関東大震災で大きな被害を受けた都市の復興事業に尽力。常磐橋一帯は、渋沢栄一の遺志を継ぐ「渋沢青淵翁記念会(現・渋沢栄一記念財団)」からの多額の寄付により復興されました。銅像は日本で初めての銀行「第一国立銀行」のあった方向を向いています。


渋沢栄一の銅像(常盤橋公園内)

渋沢栄一とは

天保11年(1840)に埼玉県深谷市の農家に生まれる。慶応3年(1867)に欧州の先進諸国を視察し、実情を学びます。明治維新となり帰国すると「商法会所」を静岡に設立。その後、明治新政府に招かれ、国の近代化に貢献。明治6年(1873)に大蔵省を辞任し、同年創立された「第一国立銀行」の総監役(後に頭取)に就任。生涯で約500もの企業や団体の設立と育成に関わったといわれています。

渋沢栄一の新1万円札は、2024年7月前半発行予定。


新1万円札見本(出典:貨幣博物館)

ココを歩いてみて

歴史上の見どころの多いエリア

国指定重要文化財の日本銀行本店(本館)

常磐橋前の外堀通りを挟んだ向かい側には「日本銀行本店」があります。その日本銀行本店の中で最も古い西洋式建築物が「本館」。江戸時代は金貨を製造していた「金座」があったところです。


日本銀行本店(本館)

この辺りは歴史上の見どころの多いエリアになりますので、一緒に合わせて楽しむことができます。常盤橋公園から日本橋(橋)までは徒歩で約10分の距離です。


日本橋

※日本橋は、このサイトの中で紹介
日本橋-はじまりは徳川家康の時代に架けられた木造の橋