常盤橋門跡は、かつて江戸城外郭の正門だったところです。ここの見どころは、保存状態が良好な枡形石垣が残る城門跡と、浮世絵・写真・資料などを頼りに復元された常磐橋。そして、公園の一角に立つ、新1万円札の「渋沢栄一」像です。
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ココが江戸城外郭の正門でした!
現在、常盤橋門跡は常盤橋公園となっています。
常盤橋公園
MAP 常盤橋公園 ▼東京都千代田区大手町2-7
アクセス
- 半蔵門線「三越前」駅B1出口から徒歩1分
- JR「東京」駅日本橋口から徒歩6分
常盤橋門とは
江戸城外郭の正門
軍事上重要な場所に位置した「常盤橋門」
寛永6年(1629)に出羽、陸奥の大名によって築造された枡形門です。奥州道中につながる江戸五口の一つ。江戸城内郭の正門である「大手門」に接続する、江戸城外郭の正門でした。
「御江戸大名小路絵図(出典:国立国会図書館)」より改変/赤印:常盤橋門
城門に架かる「常磐橋」
天正18年(1590)に架けられたといわれる常磐橋。明治10年(1877)には木橋から石橋に改架され、文明開化期を象徴する石橋となりました。
常盤橋御門不二の遠景・常盤橋内印刷局
歌川広重「古今東京名所」(出典:工事のお知らせ)
散策のポイント
常盤橋公園
散策ルート
①常磐橋 → ②常盤橋門跡 → ③渋沢栄一の銅像
所要時間
約30分
- 文明開化期を象徴する石橋
- 保存状態が良好な枡形石垣が残る城門跡
- 渋沢栄一の銅像が建立された理由
[散策]常盤橋公園
最寄り駅をスタート
半蔵門線「三越前」駅
半蔵門線「三越前」駅B1出口
徒歩1分
①常磐橋
復元された、文明開化期を象徴する石橋
八角形の大理石の親柱と、唐草意匠の手すり柵。そして路面には、当時いち早く取り入れられた「歩車分離」(人は端、馬車と人力車は中央)が見られます。橋の上空を覆っているのは首都高速道路です。
復元された常磐橋
②常盤橋門跡
当時の姿を残す枡形石垣
城門は撤去されていますが、旧江戸城外郭門の中で最も保存状態が良好な枡形石垣が見られます。
常盤橋門跡
城門は明治6年(1873)に撤去。残った枡形石垣は保存状態が良好で、常磐橋と共に保存されていたことから、昭和3年(1928)に「国指定史跡常盤橋門跡」に指定されています。
③渋沢栄一の銅像
公園の一角に立つ巨大な銅像
実業家「渋沢栄一」は、関東大震災で甚大な被害を受けた都市の復興事業に尽力。常磐橋一帯は、渋沢栄一の遺志を継ぐ「渋沢青淵翁記念会(現・渋沢栄一記念財団)」からの多額の寄付により復興されました。
渋沢栄一の銅像
渋沢栄一の銅像が建立された理由
当像は、関東大震災(大正12年<1923>)後の復旧と整備(当該地一帯を含む)に尽力した渋沢の功績を称えたもので、昭和8年(1933)開園の常盤橋公園とともに建立されました。
引用:中央区広報紙コラム「区内の文化財」令和4年12月21日号
渋沢栄一の肖像を描いた新1万円札は、2024年7月3日発行開始
表面は渋沢栄一の肖像画。裏面には東京駅舎が描かれています。
新1万円札見本(出典:貨幣博物館)
常磐橋の修復工事について
関東大震災からの修復
常磐橋は、大正12年(1923)に発生した関東大震災で大きな被害を受けます。その後、長期間にわたり放置されていましたが、昭和8年(1933)に常盤橋公園が開園し、昭和9年(1934)に常磐橋の修復工事が行われました。
東日本大震災からの修復
平成23年(2011)の東日本大震災により、再び大きな被害を受けます。アーチ輪石の変形や路面の陥没などにより崩落の危険が生じていました。
常磐橋アーチ輪石の変形(出典:工事のお知らせ)
修復工事開始
崩落の危険が生じていた常磐橋は、平成23年(2011)に修復工事を開始。常盤橋公園は修復工事の資材仮置場などに利用され、工事用フェンスに囲まれます。
修復工事中の常磐橋
現場には工事の進捗状況などが掲載(出典:工事のお知らせ)
修復工事完了
約9年に及ぶ、困難を極めた工事が完了。復元作業は、浮世絵・古写真・資料などを頼りに行われています。
修復された常磐橋
広報紙には
広報千代田(東京都千代田区の広報紙)には、常磐橋の修復工事が完了し、通行できるようになったことと、橋の修復工事や歴史などを4ページの特集で取り上げています。
再開発なども進む日本有数のビジネス街を通る日本橋川に架かる国指定史跡常盤橋門跡内「常磐橋(ときわばし)」が、修復工事を終え、5月上旬から通行できるようになります。
引用:広報千代田 令和3年4月20日号
ココを歩いてみて
当時の姿を今に伝える史跡
城門は撤去されていますが、保存状態が良好な枡形石垣と、復元された文明開化期を象徴する石橋を見学することができます。
渋沢栄一の銅像
とても巨大な銅像です。
MAP 常盤橋公園