史跡 日本橋エリア

日本橋魚河岸跡-築地の前は日本橋にあった魚河岸

投稿日:2017/02/20 更新日:

日本橋から江戸橋にかけての川沿いには、たいへん賑わった日本橋魚河岸があった。その魚河岸は、一日に千両の取引があると言われ、江戸で最も活気のある場所の一つだった。しかし、関東大震災で壊滅的な被害を受け、築地に移転。日本橋魚河岸は、日本橋と合わせて、当時の繁栄を想像したくなる歴史スポットである。

三百年余りの歴史を持つ日本橋魚河岸

地下鉄「三越前」駅B6出口を出ると、直ぐ左手に「乙姫広場」がある。そこには、「日本橋魚市場発祥の地」と刻まれた記念碑と案内板、そして、乙姫の像が置かれ、日本橋魚河岸の発祥から移転に至るまでの三百年余りの歴史を伝えている。

 

日本橋魚河岸の始まり

日本橋から江戸橋にかけての日本橋川沿いには、幕府や江戸市中で消費される鮮魚や塩干魚を荷揚げする「魚河岸」がありました。ここで開かれた魚市は、江戸時代初期に佃島の漁師たちが将軍や諸大名へ調達した御膳御肴の残りを売り出したことに始まります。この魚市は、日本橋川沿いの魚河岸を中心として、本船町・小田原町・安針町(現在の室町一丁目・本町一丁目一帯)の広い範囲で開かれ、大変なにぎわいをみせていました。(後略)
引用:日本橋魚河岸跡案内板(中央区教育委員会)

 

日本橋魚河岸の繁栄

日本橋北詰東側の河岸には、魚屋の屋台小屋が並ぶ魚河岸があり、そこへは、水運を利用して、各地から、たくさんの魚介類が集められた。その魚河岸は、一日に千両の取引があるとも言われ、江戸で最も活気のある場所の一つで、魚河岸の旦那と言えば、江戸歌舞伎の最大のスポンサーでもあった。


日本橋魚市繁栄図 国安(出典:国立国会図書館所蔵)


日本橋魚河岸 (出典:日本橋魚河岸跡案内板)

(前略)江戸時代より続いた日本橋の魚河岸では、日本橋川を利用して運搬された魚介類を、河岸地に設けた桟橋に横付けした平田舟の上で取引し、表納屋の店先に板(板舟)を並べた売場を開いて売買を行ってきました。(後略)
引用:日本橋魚河岸跡案内板(中央区教育委員会)

 

関東大震災後に移転

大正12年(1923)の関東大震災で、壊滅的な被害を受け、築地へ移転となり、300年余りの歴史に幕を下ろした。

現在の日本橋から見た魚河岸跡(左端)と、日本橋川の様子。川の上を走る首都高速道路の柱ばかりが目につき、かつての日本橋魚河岸の面影を探すことは難しい。

 

ひとこと!

現在の日本橋北詰東側の川沿いに、日本橋魚河岸の面影は見当たらない。しかし、そこには、魚屋の屋台小屋が並ぶ魚河岸があって、江戸で最も活気のある場所の一つだったことは間違いないようだ。

基本情報

住所 東京都中央区日本橋室町1丁目8番
アクセス 地下鉄半蔵門線/銀座線「三越前」駅B6出口直ぐ

 

-史跡, 日本橋エリア

Copyright© ひとりで東京歴史めぐり , 2017 AllRights Reserved Powered by AFFINGER4.