江戸城本丸の防御施設だった富士見多門。強固な防御機能を持ち、かつては本丸の各所に築かれていた多門だが、本丸で現存するのは富士見多門のみ。富士見多門は解体修理が行われ、平成28年11月から内部が一般公開されています。
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目次
実際に中へ入ることのできる富士見多門
本丸側から見た富士見多門
本丸側では木々に隠れて分かりにくいが、本丸跡西側の茶畑の裏の急坂を登ったところになる。
富士見多門
富士見多門マップ(出典:宮内庁ホームページ)
皇居側から見た富士見多門
皇居側から見た富士見多門は、また別の顔を持つ。
皇居側から見た富士見多門
内部を一般公開中
平成28年11月15日より内部が一般公開され、実際に中へ入ることができるようになった富士見多門。
富士見多門内部
富士見多門のある石垣の高さは約20m。格子窓から見下ろすと、皇居内の蓮池濠と乾通りが見られる。
御休息所前多門
富士見多門は、本丸御殿内の将軍の日常生活の場である「御休息」の近くにあったことから、「御休息所前多門」という名前も残っている。富士見多門の入口近くには、「御休息所前多門」と刻まれた石標が立っている。
石標
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富士見多門の歴史
建築年代は不明
現存する富士見多門は、明暦の大火(1657年)の後に再建されたものと考えられている。
富士見多門は、江戸城本丸の西縁の中央に建てられていた、長屋型の防御施設です。正確な建築年代は不明ですが、万治2年(1659)頃の可能性もあります。
引用:富士見多門案内板
多門とは
戦国時代末期から城郭に採用された長屋造りの施設で、掘よりも強固な防御機能を持つ防御施設。平時には諸道具、文書等の収納庫、女中の住居など、多様な用途に使用されていた。
修復作業
関東大震災により壁の剥落があり修復。皇居東御苑の公開に先立ち、昭和42年から昭和43年にかけて解体修理が行われている。
江戸城の遺構では通常、建物内へ入ることはできないが、富士見多門は実際に建物内へ入ることができ、とても貴重な体験になります。また、富士見多門の入口付近は急坂になっていて、車椅子での入場ができないのでご注意ください!
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