皇居東御苑エリア

江戸城本丸跡-大手門からの登城

投稿日:2017/01/31 更新日:

江戸城の「本丸御殿」は、幕府の政庁だったところ。将軍への謁見などが行われ、諸大名が定期的に登城していた。現在、本丸御殿のあったところは「本丸跡」として、「皇居東御苑」の中で一般に開放されている。

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大手門から本丸跡へ登城

江戸城の正門である大手門を出発

諸大名の本丸への登城口は、大手門と内桜田門(桔梗門)の2ヶ所だけだった。今回は大手門からの登城。大手門は江戸城の正門であり、高麗門と渡櫓門で構成された枡形門になる。

大手門は江戸城の正門で、諸大名がこの門から登城しました。大小の2つの門に囲まれた枡形は、侵入する敵を阻止・攻撃し易い構造になっています。大きい方の門は、昭和20年(1945)4月の空襲で焼失し、昭和42年(1967)に復元されました。(後略)
引用元:大手門案内板

このあと、3つの番所を通って、本丸跡に向かうことになる。

 

3つの番所

1つ目の「同心番所」

「番所」とは警備の詰所のことで、百人番所、大番所とこの同心番所の3つが残っています。城の奥の番所ほど、位の上の役人が詰めていました。ここには、同心が詰め、主として、登城する大名の供の監視に当たっていました。
引用元:同心番所案内板

 

2つ目の「百人番所」

本丸と二の丸へ通じる要所である大手三之門の前に設けられた番所です。甲賀組、伊賀組、根来組、二十五騎組の4組が昼夜交代で詰めていました。各組には同心が100人ずつ配属されていました。
引用元:百人番所案内板

 

3つ目の「大番所」

(前略)中之門の側に設けられ、他の番所よりも位の高い与力・同心によって警備されていました。前の坂を上がったところが本丸の入口で、中雀門がありました。
引用元:大番所案内板

このあと、坂道を道なりに行くと中雀門跡があり、その先に本丸跡が見えてくる。

 

江戸城本丸跡に到着

ここが、かつて、諸大名が目指した本丸になる。本丸御殿は火災で焼失し、現在は広大な芝生になっている。


江戸城本丸跡

 

焼失した本丸御殿

江戸城の中心だった本丸御殿は、南から北へ、表・中奥・大奥とつづく。豪華絢爛な大奥の世界があったところに立つと、やはり、不思議な感動がある。

(前略)本丸御殿は表、中奥、大奥という三つの空間に分かれていました。表は、将軍の謁見など公式な儀式・行事、幕府諸役人の執務の場で、中奥は将軍の日常生活、政務を執る場、大奥は御台所と呼ばれた将軍の正妻をはじめ家族や女性たちの生活の場でした。
引用元:江戸城本丸御殿案内板

 

天守台

本丸跡の北側には、石垣の土台だけとなった天守台がある。天守閣は、明暦の大火で焼失している。

最初の天守閣は、1607年、二代将軍秀忠の代に完成しましたが、その後大修築され、1638年、三代将軍家光の代に、江戸幕府の権威を象徴する国内で最も大きな天守閣が完成しました。外観5層、内部6階で、地上からの高さは58メートルありました。しかし、わずか19年後の1657年、明暦の大火(振り袖火事)で、飛び火により全焼し、以後は再建されませんでした。
引用元:天守台案内板

天守台に上がると、本丸跡が一望できる。


天守台から見た本丸跡

天守台には、江戸城本丸御殿の案内板があり、それを見ながら、表、中奥、大奥のあったところを探してみるのも面白い。


天守台にある江戸城本丸御殿の案内板

ひとこと!

約1時間、見学しながらの登城だった。さすがは江戸城だと思い、とても満足できた。この他にも、忠臣蔵で有名な松の廊下跡や、焼失した天守閣の代わりをした富士見櫓、復元された二の丸庭園など、江戸城をしのぶ史跡は少なくない。とにかく広い江戸城だが、所々に休憩所やトイレが設置してあるのは助かる。ここは、また来たいと思う歴史スポットである。

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基本情報

名称 江戸城本丸跡(皇居東御苑)
所在地 東京都千代田区千代田1-1
アクセス 地下鉄各線「大手町」駅c13b出口から徒歩約3分
公開時間 3月1日~4月14日  午前9:00~午後4:30(入園は午後4:00まで)
4月15日~8月末日 午前9:00~午後5:00(入園は午後4:30まで)
9月1日~10月末日 午前9:00~午後4:30(入園は午後4:00まで)
11月1日~2月末日 午前9:00~午後4:00(入園は午後3:30まで)
休日 月曜日・金曜日(月曜日が休日で公開の場合は火曜日を休園)
入園料 無料
江戸城跡

 

 

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