道三堀跡-埋め立てられた「江戸で最初に造られた運河」

道三堀は徳川家康が江戸入府後、直ちに造った運河。これにより江戸城への水路が確保され、大量の物資が江戸城へ。その道三堀は明治時代に埋め立てられ、そこには大規模なオフィスビルが立ち並ぶが、2027年度には日本一の超高層ビルが建つという。

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道三堀とは

江戸城建設のための物資・生活用品などを、船で江戸城の近くまで運び入れるために造られた水路(運河)。江戸城の内濠(和田倉門そばの「竜の口」)と外濠を結んでいた。(下記)


御江戸大名小路絵図(出典:国立国会図書館所蔵)


内桜田神田橋内大名小路絵図 千代田区教育委員会蔵(出典:道三橋案内板)

道三堀の歴史

道三堀のはじまり

徳川家康は江戸入府後、直ちに江戸城への水路(運河)の確保に取り組み、道三堀の開削を行っている。

1590年(天正18)に徳川家康が江戸に入国し、江戸城建設の物資補給路のために竜の口(和田倉門のそば)から銭瓶橋まで掘割を開削させ、道三堀と呼びました。
引用:道三橋跡案内板(千代田区)

繋がる水路

道三堀の開削により江戸城への水路が確保されると、船で大量の物資や生活用品を運べるようになった。その後、軍用品としても重要な「塩」を、生産地である行徳(現・千葉県)から安定して運ぶために、隅田川と旧中川を結ぶ「小名木川」、そして中川と旧江戸川を結ぶ「新川」を開削して道三堀に繋げている。

和田倉で保管

道三堀で運ばれてきた船荷は和田倉濠と道三堀の合流する「竜の口」で荷揚げされ、江戸城和田倉門内の「和田倉」で保管されていた。

道三堀の埋め立て

1909年(明治42)に埋め立てとなった。

 

現在

大規模なオフィスビルが立ち並ぶオフィス街

道三堀の痕跡は見当たらない

道三堀は旧江戸城和田倉濠の東側から北東へ進み、永代通りを横断し、永代通りの直ぐ北側を通っていた。そこは丸の内、大手町といった、多くの企業が本社を構えるオフィス街で、埋め立てられた道三堀の痕跡は見当たらない。


道三堀が通っていたオフィス街

道三堀に架けられていた2つの橋の案内板

①道三橋跡

新大手町ビルヂングと大手町野村ビルの間に、道三堀に架けられていた道三橋の案内板が設置されている。道三橋は堀のほぼ中間点に架けられていた橋になる。


道三橋跡案内板

当初は、大橋とも呼ばれていましたが、南東の端に幕府典薬寮の医官今大路道三の屋敷があったことから道三橋と呼ばれるようになりました。また、橋の西側に熊本藩(現在の熊本県)細川家の屋敷があり、当主の代々の幼名が彦次郎であったことから彦次郎橋とも呼ばれていました。
引用:道三橋跡案内板

②銭瓶橋跡

道三堀に架けられていた、もう一つの銭瓶橋の案内板。かつて道三堀が外濠と合流する少し手前に架けられていた橋になる。


銭瓶橋跡案内板

銭瓶橋の由来は諸説あり、橋を架設する際に地中から銭の入った瓶が掘り出されたからとする説と、この付近で永楽銭の引換えが行われており、「銭替橋」と呼ばれたからとする説があります。
引用:銭瓶橋跡案内板

 

現在、銭瓶橋跡付近は大規模な再開発が進行中で、2027年度には日本一の高層ビルが建つ予定です。以下にそのプロジェクトの概要をご紹介!

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東京駅前常盤橋プロジェクト(概要)

日本一の超高層ビル建設を含む再開発

「東京駅前常盤橋プロジェクト」とは、東京駅北側の常盤橋地区の大規模複合再開発のこと。A棟、B棟の2つの高層ビルと、C棟、D棟の合わせて4棟のビルが段階的に建設される。A棟は2021年度完成予定で、B棟は2027年度に竣工を目指している。


北東側から見た完成予想図(出典:建設現場掲示板)

A棟は、地上40階、地下5階、高さ約212mの高層ビル。
B棟は、地上61階、地下5階、高さ約390mの日本一の超高層ビルになる。

 

ココを歩いてみて!

埋め立てられた道三堀の痕跡は見当たらない

和田倉濠から、かつて道三堀が外濠と合流したあたりまでの約1kmを歩いてみたが、道三堀の痕跡は見当たりません。それでも丸の内、大手町の下には、徳川家康が江戸で最初に造った運河が眠っています。

東京駅北側の再開発に注目!

これまでの東京駅周辺の再開発の中で、丸の内が単なるオフィス街から変貌したように、今後の常盤橋地区の変化に注目です!

 

アクセス情報

名称  道三堀
所在地 東京都千代田区大手町 2-2(道三橋跡案内板)
アクセス 東京メトロ「大手町」駅B2a出口直ぐ(道三橋跡案内板)