400年以上の歴史ある名橋「日本橋」の周辺では、未来に向けた大規模なまちづくりが進行中です。そこでは、伝統と革新が共存した新たな始まりを予感させます。青空のある日本橋の復活、超高層ビルの建設、舟運による新たな交通手段など、大きく変貌する日本橋周辺に注目です。
★
★
国指定重要文化財「日本橋」
半蔵門線「三越前」駅構内案内板
400年以上の歴史ある名橋
現在の日本橋は、明治44年(1911)に架橋された、ルネサンス様式の石造二連アーチ橋です。平成11年(1999)に国指定重要文化財となっています。橋の上空を覆っているのは首都高速道路の高架橋で、2040年までに撤去される予定。
日本橋 ▼東京都中央区日本橋1丁目~日本橋室町1丁目
アクセス
- 半蔵門線・銀座線「三越前」駅B6出口直ぐ
- 銀座線・東西線・都営浅草線「日本橋」駅B12出口徒歩5分
- JR「東京」駅日本橋口徒歩10分
★
日本橋の見どころ
日本の道路網の起点
●日本国道路元標
徳川家康の時代に、五街道の起点として定められた日本橋。現在、橋の中央(国道上)には、日本の道路網の起点であることを示す「日本国道路元標」が埋め込まれています。(注:国道上は交通量が激しく危険なので、見学は複製が置かれている「元標の広場」がオススメ。)
橋(国道上)の中央に埋め込まれている「日本国道路元標」
日本橋の装飾
●麒麟像(きりんぞう)と獅子像
橋の中央には、東京の繁栄を表現した「麒麟像」が置かれ、橋の両端には、東京の守護を表現した「獅子像」が見られます。
麒麟(きりん)像
東京市(現・東京都)の紋章を持った獅子像
●橋銘板
4ヶ所の親柱にある橋銘板は、15代将軍「徳川慶喜」によって揮毫(きごう)されたものです。
橋銘板
★★
日本橋のたもと
日本橋のたもと
★
---元標の広場---
●東京市道路元標
●日本国道路元標(複製)
●里程標
「東京市道路元標」(日本橋と共に国指定重要文化財)は、かつて都電架線の指示柱を兼ね、昭和47年の道路改修により、橋の中央(国道上)から元標の広場へ移設されたものです。また、現在の橋の中央(国道上)に埋め込まれている「日本国道路元標」の複製と、主要地点までの距離が示された「里程標」が置かれています。
元標の広場
★
---乙姫広場---
●記念碑と乙姫像
かつて、日本橋から江戸橋にかけての日本橋川沿いには、巨大な魚河岸がありました。記念碑には「日本橋魚市場発祥の地」と刻まれています。
乙姫広場
★
---花の広場---
●日本橋由来記の碑
ここは高札場があったところで、幕府の法令やお触れを板面に記して民衆に告示していました。現在は、日本橋の歴史を紹介しています。
日本橋由来記の碑
◆
街歩きに役立つ情報をゲット♪
花の広場の「日本橋観光案内所」では、日本橋などの観光名所や人気スポットを、多言語に対応するコンシェルジュが案内してくれます。
日本橋観光案内所 ▼東京都中央区日本橋1-1-1地先
▼10:00~17:00無休
★
---滝の広場---
ここには船着場があり、乗合クルーズを楽しむことができます。
日本橋船着場
東京都は、船による移動という新たな交通手段を定着させる取り組みを進めています。その第一弾として、ここ日本橋と豊洲間を約20分で結ぶ運航が開始されました。詳細は「東京舟旅」のホームページでご確認ください。
◆
日本橋の歴史
日本橋のはじまり
- 1590年 徳川家康江戸入府
- 1600年 関ヶ原の戦い
- 1603年 江戸幕府開府/日本橋の創架
- 1604年 日本橋を五街道の起点に定める
◆
日本橋の創架は、徳川家康が幕府を開いた慶長八年(一六〇三)と伝えられています。翌年、日本橋が幕府直轄の主要な五つの陸上交通路(東海道・中山道・奥州道中・日光道中・甲州道中)の起点として定められました。
引用:日本橋案内板(中央区教育委員会)
◆
日本の中心地へ
江戸時代、日本橋は五街道の起点・舟運の要所として、日本全国から、沢山の人と物が集まる日本の中心地となりました。それらの交流により、今までになかった新たな産業や文化が誕生していきます。
江戸市街の中心に位置した日本橋は、橋のたもとの日本橋川沿いに活気のある魚市場が立ち並び、周辺に諸問屋が軒を連ねるなど、江戸随一の繁華な場所でした。
引用:日本橋案内板(中央区教育委員会)
◆
五十三次名所図会 日本橋 東雲の景
歌川広重(出典:国立国会図書館)
◆
江戸時代の日本橋を歩いて渡ってみませんか?
江戸東京博物館(東京都墨田区)では、江戸時代の日本橋を実際に歩いて渡ることができます。北側半分を復元したものですが、それでも圧倒される大きさです。
復元された日本橋 江戸東京博物館
※江戸東京博物館は、大規模改修工事のため、休館中です。休館期間は令和4年4月1日~令和7年度中(予定)
◆
浮世絵から辿る日本橋周辺の歴史
①東都名所「駿河町之図」/②日本橋魚市繁栄図/③名所江戸百景「日本橋一丁目略図」
①東都名所「駿河町之図」
江戸時代の豪商「越後屋」
伊勢松坂の商人「三井高利」が日本橋に開業した呉服店の越後屋です。「店前売り」、「現金掛け値なし」という販売方法で大店に成長。一日の売上が千両といわれた江戸時代最大の呉服商です。天和2年(1682)に本町一丁目から駿河町へ移転し、翌年に店舗を拡張して三井両替店を開店。奥に伸びる通りの両側が越後屋です。
東都名所「駿河町之図」 歌川広重(出典:国立国会図書館)
日本橋三越本店と三井本館
越後屋は「三越」となり、越後屋に併設されていた三井両替店は、三井銀行を経て「現・三井住友銀行」となっています。奥に伸びる通り(江戸桜通り)の左側が日本橋三越本店で、右側が三井本館(三井住友銀行など)です。
日本橋三越本店(左側)と三井本館(右側)
②日本橋魚市繁栄図
日本橋魚河岸
江戸で最も活気のあった場所の一つに、日本橋の魚河岸があります。幕府に納めた魚の余りを日本橋のたもとで売り出したのがはじまり。そこでは日本橋川の水運を利用して各地から沢山の魚介類が集められ、一日に千両の取引があるといわれました。
日本橋魚市繁栄図 国安(出典:国立国会図書館)
魚河岸は移転
日本橋魚河岸は関東大震災で壊滅的な被害を受け、その後、芝浦での仮設市場を経て、築地へ移転となりました。橋のたもとの乙姫広場には「日本橋魚市場発祥の地」と刻まれた記念碑と乙姫像が置かれ、ここに魚河岸があったことを今に伝えています。
浮世絵の場所
乙姫広場
③名所江戸百景「日本橋通一丁目略図」
江戸のメインストリート
日本橋通一丁目表通りの賑わいの様子です。そこは大店が集まる江戸の一等地。浮世絵の中では、江戸の三大呉服店の一つ「白木屋」(右手)が描かれています。
名所江戸百景「日本橋通一丁目略図」
歌川広重(出典:国立国会図書館)
中央区日本橋一丁目
江戸のメインストリートは、今も都心を南北に貫く大動脈(中央通り)です。白木屋は東急百貨店を経て「コレド日本橋」(写真右手)となっています。
中央通り(日本橋交差点)
◆
未来に向けたまちづくり
青空のある日本橋の復活
首都高地下化事業
首都高速道路の日本橋区間地下化事業では、日本橋の上空を覆っている首都高速道路の高架橋が撤去され、青空のある日本橋の景観が復活します。完成までのスケジュールは、2035年にトンネルが開通、2040年までに現在の高架橋が撤去される予定です。
日本橋に青空を(出典:日本橋一丁目中地区建設現場)
既に始まっている地下化事業
日本橋川内の工事を行うため、令和3年5月10日午前0時、首都高都心環状線「呉服橋出入口」と「江戸橋出入口」が廃止となりました。
廃止となった呉服橋出入口の様子
超高層ビルの建設
日本橋周辺の大規模再開発
日本橋の直ぐ南側(日本橋一丁目中地区)では、オフィス・店舗・ホテルなどが入る、地上52階、地下5階の超高層ビルが2026年3月末竣工予定です。日本橋三越本店の向かい側(日本橋室町一丁目地区)でも、地上33階、地下4階の超高層ビルが2028年度竣工予定。日本橋周辺では、このような大規模再開発プロジェクトが立ち上がり、新たなまちづくりが進行中です。
日本橋周辺の大規模再開発地域(黄色部分)概略図
参考:日本橋川沿いエリアのまちづくりビジョン2021<日本橋川周辺のまちづくり>中央区
①八重洲一丁目北地区(南街区)
・地上44階、地下3階
・竣工予定:2028年度予定
②日本橋一丁目1・2番地区(A街区)
・地上27階、地下3階
・竣工予定:2032年度予定
③日本橋一丁目中地区(C街区)
・地上52階、地下5階
・竣工予定:2026年3月末
④日本橋一丁目東地区(A街区とB街区)
・A街区)地上40階、地下4階
・B街区)地上52階、地下3階
・工事期間:2024年度~2037年度予定
⑤日本橋室町一丁目地区(A街区)
・地上33階、地下4階
・竣工予定:2028年度
★
舟運による新たな交通手段
舟旅通勤
2023年10月25日から「舟旅通勤」が開始されました。これは東京都が企画したもので、舟運を身近な観光・交通手段の選択肢の一つとして定着させることを目指しています。現在は第一弾として、日本橋~豊洲間の運航ですが、2024年春には、第2弾として、晴海~日の出間での運航が開始予定です。詳細は「東京舟旅」のホームページでご確認ください。
日本橋船着場(滝の広場)
写真は2種類ある船舶の一つ、リムジンボート
◆
ココを歩いてみて
歴史と伝統を体感しながらの散策
近隣エリアと連携した大規模再開発
大きく変貌する日本橋エリア
◇