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南町奉行所跡-大岡裁きのあったところ

投稿日:2017/01/19 更新日:

名奉行「大岡越前守忠相」や「遠山左衛門尉景元」が執務した南町奉行所。現在、その場所では、発掘調査で見つかった下水溝の一部が再現され、江戸時代中期に掘られた穴蔵が展示されている。その穴蔵からは、「大岡越前守御屋敷」と墨書きされた荷札が出土。

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「南町奉行所」の概要と現在

概要

初期のころは、奉行に任ぜられた者が邸宅に白洲を作り奉行所としていた。その後、北町奉行所と南町奉行所が設立される。(一時、中町奉行所が置かれた)

数寄屋橋門内の南町奉行所

宝永4年(1707)、常盤橋門内に置かれていた北町奉行所が数寄屋橋門内に移転し、所在地が一番南側となったため、南町奉行所となる。

「北町」と「南町」の呼び名は、単に奉行所の所在地を表し、北にある方を「北町奉行所」、南にある方を「南町奉行所」と呼び、管轄地域は同一だった。

町奉行の役割

江戸町奉行は、寺社奉行、勘定奉行とともに、徳川幕府の三奉行のひとつでした。その職掌は、江戸府内の行政・司法・警察など多方面に及び、定員二名で南北両奉行に分かれ月番で交代に執務していました。名奉行大岡越前守忠相は、享保2年(1717)から元文元年(1736)にかけて南町奉行としてここで執務をしていました。(後略)
引用:南町奉行所跡案内板

遠山左衛門尉景元は、北町奉行を務めたあと、南町奉行も務めている。

 

現在

南町奉行所跡の碑

JR有楽町駅中央口前の地下に降りるエスカレーターの裏側に、「東京都指定旧跡 南町奉行所跡」と書かれた碑が立っている。

(前略)南町奉行所は、宝永4年(1707)に常盤橋門内から数寄屋橋門内に移転し、幕末までこの地にありました。その範囲は、有楽町駅および東側街区一帯にあたり、平成17年の発掘調査では、奉行所表門に面した下水溝や役所内に設けられた井戸、土偶などが発見されました。(後略)
引用:南町奉行所跡案内板

 

発見された穴蔵と木樋

地下1F広場には、南町奉行所内に掘られた地下室(穴蔵)が展示されている。両脇の木製ベンチは、江戸時代の水道管(木樋)を再利用している。

(前略)この穴蔵は江戸時代中期の南町奉行所内に掘られた地下室で、なかから伊勢神宮の神官が大岡忠相に宛てた木札が出土しました。
引用:南町奉行所跡案内板

 

ひとこと!

碑の前に立って周りを見ても、南町奉行所の面影は全くない。南町奉行所という抜群の知名度の割には、残念に思うかもしれないが、ここで、名奉行「大岡越前守忠相」の裁きがあったと思うと、少し楽しくなる。

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基本情報

名称 南町奉行所跡
所在地 東京都千代田区有楽町2丁目
アクセス JR「有楽町」駅中央口から徒歩約1分
南町奉行所跡

 

 

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