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一石橋-八つの橋が同時に眺望できた江戸の名所

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一石橋は、江戸時代初期に日本橋川に架けられた橋。江戸の名所の一つでもあった一石橋は、歌川広重の「名所江戸百景」の中で、「八つ見のはし」として描かれている。

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「一石橋」の概要と現在

概要


日本橋より一石橋を見る図 歌川国直(国立国会図書館所蔵)

一石橋のはじまり

江戸初期の「武州豊島郡江戸庄図」にすでに木橋として記載されている。

橋の名前の由来

(前略)
橋名の由来としては、北橋詰め近くの本両替町に幕府金座御用の後藤庄三郎、南橋詰近くの呉服町には、幕府御用呉服所の後藤縫殿助の屋敷があり、後藤をもじって五斗、五斗+五斗で一石と名付けたと「江戸砂子」に見え、日本橋地区と神田地区を結ぶ橋として重要でした。(後略)
引用:一石橋の親柱案内板(中央区教育委員会)

名所江戸百景「八つ見のはし」

一石橋に立てば、八つの橋が同時に眺望できることから、「八つ見のはし」とも呼ばれ、歌川広重の「名所江戸百景」の中で描かれている。手前に見える橋の欄干の一部が一石橋で、中央に、道三堀に架かる「銭瓶橋」と「道三橋」、その奥には、江戸城と富士山が描かれている。


名所江戸百景 八つ見のはし(歌川広重)

橋の上に立つと、自身も含めて八つの橋(常磐橋、呉服橋、鍛冶橋、一石橋、日本橋、江戸橋、銭瓶橋、道三橋)が同時に見渡せたという。

木橋から鉄骨コンクリートのモダンな橋へ

大正11年(1922)、鉄骨コンクリート花崗岩張りの橋に改架され、親柱四基をすえた白亜の橋となる。その後、関東大震災にも落橋せず、交通上の重要な橋として使われた。


昭和初期頃の一石橋(出典:一石橋の親柱案内板)

 

現在

現在、大正11年に造られたモダンな橋本体は撤去され、花崗岩の親柱一基を残して、全てが改築されている。その親柱は、平成14年に中央区民文化財に登録された。

 

「八つ見のはし」から見た景色

現在の一石橋の橋上から見た景色。歌川広重画「名所江戸百景 八つ見のはし」の方角は、コンクリートの壁と、工事中の大きな建物、そして、川の上を走る補修中の首都高速道路に遮られている。道三堀も埋め立てられていて、当時の面影はない。

 

迷子しらせ石標

一石橋の南側の橋詰には、江戸時代からの「迷子しらせ石碑」が立っている。これは、湯島天神境内、浅草寺境内、両国橋橋詰など、往来の多い場所に置かれた「迷子探しのための告知石碑」。当時の一石橋から日本橋にかけては、往来の多い繁華街で、迷子も多かったという。

「迷子しらせ石碑」は、震災や戦災などで破壊され、現存するのは一石橋のものだけとなり、東京都指定有形文化財に指定されている。

ひとこと!

今の一石橋から見える景色は建物などに遮られ、かつての「江戸の名所」の面影はない。ただ、東京都指定有形文化財である「迷子しらせ石碑」は江戸時代からのもので、とても興味深い。

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基本情報

名称 一石橋
所在地 東京都中央区八重洲1丁目/中央区日本橋本石町1丁目
アクセス 東京メトロ半蔵門線「三越前」駅B2出口直ぐ
一石橋

 

 

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